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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)9861号 判決 1981年10月27日

原告

保坂孝彦

原告

仲田剛彦

右法定代理人親権者養父

仲田凱夫

同養母

仲田恭子

右原告ら訴訟代理人

弘中惇一郎

中井真一郎

被告

白石恕人

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

被告

学校法人帝京第一学園

右代表者理事

冲永荘兵衛

右訴訟代理人

石田寅雄

藤井誠一

主文

被告白石恕人は、原告保坂孝彦に対し、金一〇四七万二五五八円を、原告仲田剛彦に対し、金九六一万二三五六円を、それぞれ支払え。

原告らの被告学校法人帝京第一学園に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らと被告人白石恕人との間に生じたものは被告白石恕人の負担とし、原告らと被告学校法人帝京第一学園との間に生じたものは原告らの負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一被告白石に対する請求について

1  請求の原因1の事実は、当事者間に争いがない。

2  同2の事実について

(一)  同2の(一)及び(二)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  同2の(三)の(1)の事実中、本件分娩後しばらくの間奈々子に特に異常がなかつたこと、ところが昭和五〇年二月一五日午前八時四五分起き上がつた際突然大量出血(約三八〇cc)を起こしたこと、奈々子の体温は、同日午前一〇時五〇分には39.8度、同一一時三〇分には38.2度、同日午後〇時四五分には39.3度であつたこと、被告白石は同日午前一〇時五〇分奈々子に対し解熱剤(五〇%メチロン一アンプル)を投与したこと、被告白石は右出血を子宮弛緩による胎盤剥離部からの出血であると判断し直ちに子宮双合圧迫等の止血処置を施したこと、しかしながら右処置は結局効果がなくとその後も大量出血が続いたこと、被告白石は同日午後二時四〇分子宮摘出手術を行うことを決定し、同五時三四分から約二時間にわたりこれを実施したことは、いずれも当事者間に争いがない。また、前記体温の推移の状況によれば、昭和五〇年二月一五日午前一一時三〇分に体温が降下したのは、同一〇時五〇分に投与された解熱剤の効能によるものと認めるのが相当である。なお、<証拠>によると、昭和五〇年二月一五日午後一時再度解熱剤(五〇%メチロン一アンプル)の投与を受けたにもかかわらず、奈々子の体温は同二時二〇分には39.7度、その後も翌一六日午前七時まで三七度を下ることがなかつたとの事実が認められ、前記体温の推移の状況と、後で認定するように同月一四日午前八時から翌一五日午前八時過ぎの大量出血までの間検温がされていなかつたこと、<証拠>を総合すると、右出血に先立ち発熱があつた疑いが濃厚であるが、被告白石の反対趣旨の供述に照らし、これを断定することまではできない。この点については、右大量出血後発熱があつた旨記載されている<証拠>によれば、奈々子の体温については一つのメモからカルテの温度表(乙第一号証)と看護録に移記される手順となつていることが認められるところ、看護録には昭和五〇年二月一四日午前八時から翌一五日午前一〇時五〇分までの間については体温の記載がなく、したがつて、その間検温はされなかつたと認めるのが相当であるから、乙第一号証の記載をにわかに信用することができず、また、甲第一九号証には、「分娩後約一二時間後より弛緩出血、つづいて発熱を来たし」と記述されているが、証人中村一路の証言によると、この記載は乙第一号証をみて書かれたものであることが明らかであり、右乙第一号証の記載部分は右のとおり信憑性を欠くものであるので、結局右甲第一九号証の記載も措信することはできない。

(三)  <証拠>によれば、本件子宮摘出手術を終了した後昭和五〇年二月一六日午前八時ごろまでの間における奈々子の症状は次のとおりであることが認められる。

(1) 本件子宮摘出手術後大出血は止まつたが、にじみ出るような出血傾向は続いていた。

(2) 昭和五〇年二月一五日午後一一時ごろ右下肢に出血斑が出、そのころから血圧は次第に下がり、昇圧剤(カルニゲン一〇アンプル、エホチール九アンプル)を投与しても、翌一六日午前八時ころまで最高血圧は九〇mmHg程度であつた。

(3) 全身的症状としては極めて悪く、手術室から病室に移さぬまま治療・看視がされ、また、病室で待機している奈々子の家族が二度にわたり手術室に呼び寄せられ、被告白石から「一人ずつ顔をみてやつてくれ。」と言われた程であつた。

(四)  請求原因2の(四)の事実は、当事者間に争いがない。

(五)  同2の(五)の事実中奈々子が昭和五〇年二月一六日午前一一時、被告白石に付き添われて救急車で大学病院に向かい、午後〇時五〇分大学病院に到着すると直ちに入院したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右転入院の際における奈々子の症状は、体温37.5度、脈搏数毎分一〇二回、血圧七〇―四〇mmHg、冷汗顕著、意識はあるが、傾眠状態、顔面蒼白でチアノーゼ、両下肢に紫斑、創部(腹部)から出血、乏尿というのであり、ショック症状をきたしていることが認められる。

(六)  <証拠>によれば、請求の原因2の(六)の事実中、昭和五〇年二月一七日における奈々子の状態は体温39.9度、脈搏数毎分一〇二回、血圧一〇二―七〇mmHg、創部から出血、乏尿というのであり、同日受けた臨床検査によれば白血球数は三万八四〇〇/mm2にも達し、敗血症とそれによる急性腎不全が疑われる状態であつたこと、同月二四日膣及び尿からクレブシエラ菌が顕出されたことが認められる。それで、同事実、<証拠>を総合すると、奈々子は大学病院に転入院時すでにクレブシエラ菌を起炎菌とする敗血症とそれによる急性腎不全に罹患していたと認めるのが相当である。この点に関し、被告白石は、右白血球の増加は分娩及び組織の壊死による非感染性で反応性のものである旨を主張する。確かに、<証拠>によれば、妊娠時には白血球が増加し分娩時には一万八〇〇〇ないし二万/mm2に達し、その後産褥六週でほぼ元に戻ることが認められるが、奈々子は前記認定のとおりこの倍近い数の白血球数を有するに至つているのであるから、これを分娩における反応性の増加とみることは到底できず、また、右増加が組織の壊死による反応性のものであることをうかがわせるのに足りる証拠はなく、右主張は理由がないというほかない。更に被告白石は、敗血症であつたならばその血液所見として著明な核左方推移及び培養による病原菌の証明が認められるはずであるところ、奈々子についてはそのいずれをも欠いているから敗血症であるはずがない旨を主張する。しかしながら、<証拠>によれば、敗血症に罹患していても患者が既に抗生物質による治療を受けているときは血液中からの病原菌の検出は困難であることが認められるところ、<証拠>によれば、奈々子は昭和五〇年二月一五日午前一〇時五〇分抗生物質であるセファメジン一グラムの投与を受けていることが認められ、また<証拠>によれば、奈々子は翌一六日午後一時抗生物質であるケフリン一グラムの投与を受け、翌一七日からは更に多量の抗生物質が継続的に投与されていることが認められ、したがつて奈々子の血液中から病原菌が検出できなかつたことは認められるけれども、これをもつて、右認定を覆すことはできず、また、本件全証拠によつても核の左方推移がなかつたとの事実を認めるに足りず、結局右主張も理由がない。

(七)  請求の原因2の(七)の事実中奈々子が死亡したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、奈々子は前記転入院後大学病院において同病院の医師による治療を受けていたこと、奈々子が死亡したのは、昭和五〇年四月一五日午後二時一〇分であること、奈々子はクレブシエラ菌を起炎菌とする敗血症による急性腎不全から高カリウム血症を起こして死亡するに至つたこと、奈々子は死亡時満三二歳であつたことが認められる。

なお、被告白石は、奈々子はアスペルギルス症、腹膜内の骨盤腔を中心とする限局した化膿性腹膜炎及び腎不全が相俟つて死亡した旨主張する。<証拠>によれば、奈々子は腎不全をおこしており、死亡時アスペルギルス症に罹患し、腹膜内の骨盤腔を中心として化膿性腹膜炎を起こしていたことが認められるが、本件全証拠によつても右腎不全、アスルペルギルス症及び腹膜炎が奈々子の直接の死因であることを認めるに足りず、また、仮に奈々子の直接の死因が被告白石の主張するとおりであつたとしても、既に認定したとおり腎不全及び腹膜炎は敗血症に起因するものであり、更に、<証拠>によれば、奈々子は敗血症の治療のために投与された抗生物質による菌交代現象の結果アスペルギルス症に罹患したものであることが認められるから、結局、奈々子は敗血症によつて死亡したものと認めるのが相当である。

3  請求の原因3の事実について

(一)  請求の原因3の(一)の(1)の事実について

(1) 被告白石は、医師として本件分娩を介助するにあたつて、奈々子への細菌感染を防止する注意義務を負つているものである。

(2) ところで奈々子が大学病院に転入院時すでにクレブシエラ菌を起炎菌とする敗血症に罹患するまでに至つていたことは前記2の(六)で認定したとおりである。そこでまず奈々子がいつの時点で右細菌に感染したと認められるかについて検討する。<証拠>によれば、本件分娩前には奈々子は健康であつたことが認められ、また、本件全証拠によつても、奈々子が本件分娩前に細菌に感染していたことを疑わせるに足りる事実は認められず、<証拠>によれば、奈々子は本件分娩後当初は分娩室、引き続き病室において安静休息をしているうち既に認定した一連の本件異常事態に陥つたことが認められること、また、既に認定したとおり、本件子宮摘出手術後もにじみ出るような出血傾向が続き、後記のとおり右出血傾向は感染症によるものと認められること、更に、<証拠>を総合すると、分娩に際して細菌が産道に侵入する危険は極めて高く、しかもグラム陰性桿菌による感染が多いことが認められ、これらの事実と既に認定した奈々子が罹患した敗血症の起炎菌がグラム陰性桿菌の一種であるクレブシエラ菌であつたことを総合すれば、細菌(クレブシエラ菌)が本件分娩の際奈々子の産道に侵入した疑いが濃厚である。しかしながら、後記認定のとおり本件大量外出血は子宮弛緩による胎盤剥離部からの出血であつたこと、前述のとおり出血に先立ち発熱があつたとまでは断じ難いこと、既に認定したとおり被告白石は本件大出血に対する止血処置として、本件子宮摘出手術に先立ち、分娩創傷である膣内の操作を伴う子宮双合圧迫等の処置をしていることを総合すると、右止血処置時に細菌が侵襲した疑いもあり、少なくともそのいずれかであることは認められるものの、分娩時であることを断定することまではできない。なお、この点に関し、原告らは、本件分娩により娩出された原告剛彦も敗血症に罹患しており、そのため、同児は、昭和五〇年二月一六日には顆粒球減少症の症状を、翌一七日には皮膚硬化症の症状を、呈するようになつたのであり、本件分娩後母子共に敗血症に罹患している以上、奈々子は本件分娩の際に細菌感染したものと推認するのが相当である旨主張する。確かに、<証拠>によれば、本件分娩により娩出された原告剛彦が昭和五〇年二月一六日には顆粒球減少症の症状を、翌一七日には皮膚硬化症の症状を呈し重体となつたことが認められるけれども、<証拠>を総合すると、右症状が敗血症によるものであるとは即断し難く、また、仮りに右症状が敗血症によるものであつたとしても、<証拠>によれば、同事実をもつて奈々子が本件分娩の際に細菌に感染したとの事実を推認する資料とすることは相当でなく、したがつて、原告らの右主張は理由がない。

(3) つぎに奈々子が分娩時又は子宮双合圧迫等の止血処置時に細菌(クレブシエラ菌)に感染したことについて被告白石に過失があつたものと認められるか否かを検討する。

まず本件分娩時に細菌が産道に侵入したとする場合、その侵入経路として考えられるのは、<証拠>によれば、(ア)被告白石の手指又は分娩に使用する器具からの感染、(イ)被告白石の咽頭からの飛沫感染、(ウ)分娩室内の汚物や埃などからする感染、(エ)奈々子の外陰部などにあつた非病原性の体内菌が、被告白石による分娩介助の際、産道内に送りこまれて感染すること、(オ)奈々子の外陰部などにあつた非病原性の体内菌が、分娩に際し自然に上昇し分娩創傷に感染することがあり得ること(被告白石は奈々子の鼻咽頭からの飛沫感染を主張するが、分娩に際しかかる経路で産道に感染することはありえないものと考えるのが相当である)、右(オ)の経路による感染は、分娩が長引いた場合にのみ考えられること、分娩前にあつた非病原性体内菌による重篤な感染は、それが好気性溶血性レンサ球菌である場合を除いてないことが認められ、また<証拠>によれば、本件分娩には前・早期の破水はなく、分娩の進行も特に長引いたということなくすこぶる順調に進行し、鉗子、吸引等の産科器機による介助もなかつたことが認められるので、右(エ)及び(オ)の経路によることはまず考えられない。そうすると(ア)ないし(ウ)の経路によることが考えられるけれども、<証拠>によれば、被告白石は、分娩介助又は手術の場合、通常、手術器具を乾熱滅菌器で、術衣(マスクを含む。)及びガーゼを高圧蒸気滅菌器で滅菌し、自らの手指については石けん流水で洗つたのち消毒したブラシでブラッシングし、チメロサールチンキで消毒したうえ消毒済の手袋を使用し、前記滅菌済の術衣を着用するようにしており、また、手術室の床タイルは毎日クレゾール液で消毒していたことが認められ、本件全証拠によつても本件分娩に際して格別消毒に欠ける点があつたものとは認められない。

また子宮双合圧迫等の止血処置は、奈々子の弛緩出血が本件分娩後一二時間も経過した後に突然発生したものであり、被告白石にとつても殆んど予期していなかつた異常事態を迎えて急拠施したものであるだけに、消毒等の点で手落ちがなかつたか否か多分に疑念の残るところではあるが、同被告が経験豊富な産婦人科医であつて弛緩出血も度々経験していること(同被告本人尋問の結果)に照らせば、右事実のみによつてはこの場合にも過失があつたものと断ずることはできず、他に被告白石の過失を認めるのに足りる証拠はない。

(二)  請求の原因3の(一)の(2)について

(1) 請求の原因3の(一)の(2)の事実中、被告白石が奈々子に対しセファメジン一グラムを投与し、かつこれ以外の抗生物質を投与しなかつたこと、約二時間にわたり本件子宮摘出手術をしたこと、本件分娩後大出血があり、手術後も出血が続いたことは当事者間に争いがない。

(2) そこで、まず、発熱及び大出血が前記認定した細菌の侵入に基づく感染症によるものであるか否かにつき判断する。

(ア) <証拠>によれば、昭和五〇年二月一五日午前八時四五分、分娩後約一二時間を経過して突然大量出血を起こした際、奈々子の子宮は極めて柔軟であつて子宮底の境界を触知し難い状態であつたことが認められ、同事実及び既に認定したとおり右出血後も多量の外出血が継続したこと、本件子宮摘出手術後は多量の外出血は止まりにじみ出るような出血傾向がみられるにとどまるようになつたこと、<証拠>を総合すると、前記奈々子の大量外出血は、子宮弛緩による胎盤剥離部からの出血であつたと認めるのが相当である。

また、<証拠>によれば、被告白石が本件子宮摘出手術をし子宮を摘出したのちに観察すると、奈々子にはかなり強い出血性傾向があつたことが認められ、また、既に認定したとおり、奈々子の右出血性傾向は被告白石の医院を退院するまで続いており、<証拠>によれば右出血性傾向は大学病院へ転入院したのちも続いていたことが認められるが、これらの事実と前記認定のとおり本件分娩又は止血処置に際し細菌が奈々子の産道に侵入したとの事実、後で認定するとおり出血性傾向が生じた時には既に感染症による発熱があつたとの事実、<証拠>を総合すると、右出血性傾向は、前記認定した細菌の侵入により罹患した感染症により生じた播種性血管内凝固現象と認めるのが相当である。

(イ) また、発熱については、<証拠>と、既に認定したとおり本件分娩又は本件止血処置に際し細菌が奈々子の産道に侵入したこと、解熱剤(五〇%メチロン一アンプル)の投与を二回受けたのにもかかわらず奈々子の体温は昭和五〇年二月一六日午前七時まで三七度を下ることがなかつたこと及び<証拠>により認められるとおり、奈々子は大学病院へ転入院したのちにおいても発熱状態を続けたことを総合すると、前記認定した細菌の侵入による感染症に基づくものと認めるのが相当である。

(3) そこで、次に、被告白石が奈々子について本件子宮摘出手術をしたことが不適切な処置にあたるか否かを検討すると、<証拠>を総合すると、被告白石は、奈々子に対し、弛緩出血に対する処置として、輸血をしつつ効果があると通常評価されているあらゆる内科的治療を施したが結局効果がなく、依然として大量出血が続き子宮摘出手術をしなければ奈々子は失血死することを免れ得ない事態となつたため、同手術をしたことが認められ、したがつて右処置が不適切であつたと認めることはできず、右認定を覆すのに足りる証拠はない。

(4) 更に、奈々子に対し抗生物質としてはセファメジン一グラムを投与しただけという処置が不適切な処置にあたるかを検討すると、<証拠>によれば、分娩の際生じる感染はグラム陰性桿菌によることが多いので、感染が疑われる場合で起炎菌が不明の場合にはこれに効力のあるセファロスポリン系の抗生物質を一日一ないし四グラム投与し、これを平熱に復し白血球数が正常になつてからも三ないし五日間続けるのが適切な処置であることが認められるが、本件の場合は、既に認定したとおり「(一)発熱があり、解熱剤を二回にわたり投与しても体温は三七度を下回らない。(二)本件子宮摘出手術後における奈々子の全身的症状は極めて悪い。(三)感染症による播種性血管内凝固現象を生じている。」との特殊事情があつたこと、また、<証拠>により認められるとおり、個人病院であつたため未だ血液検査による結果を知り得なかつたことを総合すると、被告白石としてはセファメジンをもつと多量に投与するのが適切であり、昭和五〇年二月一五日午前一〇時五〇分にこれを一グラム投与しただけという処置は不適切であつたと解するのが相当である。

判旨(三) 以上の認定事実から考えると、奈々子はクレプシエラ菌を起炎菌とする敗血症による急性腎不全から高カリウム血症を起こして死亡するに至つたのであるが、その敗血症は本件分娩又は止血処置に際し細菌が侵襲したことによるものであるところ、奈々子の分娩は順調な経過をたどり、被告白石においても手術器具等を滅菌して介助していて、分娩時にその侵襲を防止することは殆ど不可能に近いことであつたと認められるので、同被告の分娩時の介助に過失があつたとまで断定することはできず、止血処置についても同様である。しかし、同被告としては分娩時又は止血措置時に細菌の侵襲がおこることについては考慮をすべきであり、感染症を防止するのに十分な量の抗生物質を投与しなかつたのは過失があつたというべきである。被告白石が十分な量の抗生物質を投与していれば、突然発生した子宮弛緩に対して子宮摘出手術をしたとしても敗血症に罹患させることはなかつたところ、被告白石は、右過失により、手術の結果感染症を増悪させ敗血症に罹患させてしまつたものと認められるから、被告白石は、民法七〇九条に基づき、これにより原告らの被つた損害を賠償する義務がある。

4  請求の原因4の事実(原告らの損害)について

(一)  <中略>奈々子の逸失利益の現価は次のとおり一五五〇万八九六九円(円未満切捨)となる。

<中略>原告孝彦は奈々子の夫であり、原告剛彦は奈々子の子であるから、被告白石に対する右損害賠償請求権を原告孝彦が三分の一、原告剛彦が三分の二宛相続した。

(二)  請求の原因4の(二)の事実(慰謝料)について

<中略>原告らの被つた右精神的苦痛に対する慰謝料の額は原告孝彦について五〇〇万円、原告剛彦について三〇〇万円とするのが相当である。

(三)  同4の(三)の事実(葬儀費用)について

<証拠>によれば、原告孝彦が奈々子の葬儀費用として、葬式費用三六万五〇〇〇円、葬式休憩所使用料四八〇〇円、葬式・通夜参列者食事代一一万二二八〇円、葬式用文具代三〇〇円計四八万二三八〇円を支出し同額の損害を被つたことが認められる。なお、原告孝彦は、香典のお返し品を購入するのに要した費用についても被告白石の前記不法行為によつて生じた損害である旨主張するが、これは被告白石の前記不法行為とは別個の原因に基づいてなされた出捐であつて被告白石の前記不法行為によるものとは認められない。

5  以上の次第であるから、原告らの被告白石に対する本訴各請求は、いずれも右損害合計額の範囲内のものであつて理由がある。

二被告学園に対する請求について

請求の原因1、2の事実中、被告白石が肩書地において産婦人科医院を開業する医師であり、被告学園が大学病院を設置・管理するものであること、昭和五〇年二月一六日午前一〇時ごろ大学病院医師が被告白石からの依頼に基づき同被告に対し奈々子を大学病院に転入院させてもよい旨を連絡したこと、同日午後〇時五〇分奈々子は大学病院に到着すると直ちに入院し、その際の状態は体温37.5度、脈搏数毎分一〇二回、血圧七〇―四〇mmHg、冷汗顕著、意識はあるが傾眠状態、顔面蒼白でチアノーゼ、両下肢に紫斑、創部(腹部)から出血、乏尿というのであり、ショック症状をきたしていたこと、翌一七日における奈々子の状態は体温39.9度、脈搏数毎分一二〇回、血圧一〇二―七〇mmHg、創部から出血、乏尿というのであり、同日受けた臨床検査によれば白血球数は三万八四〇〇/mm2にも達し敗血症とそれによる急性腎不全が疑われる状態であつたこと、昭和五〇年二月二四日膣及び尿からクレブシエラ菌が顕出されたこと、奈々子は前記転入院後大学病院において同病院の医師による治療を受けていたが同年四月一五日午後二時一〇分敗血症による急性腎不全から高カリウム血症を起こして死亡したことはいずれも当事者間に争いがないところ、仮にその余の事実が認められるとしても、次のとおり、本件全証拠によつても、大学病院の医師に原告ら主張の過失行為(請求の原因3の(二))があつたと認めることはできず、したがつて、原告らの被告学園に対する本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

1  まず、請求の原因3の(二)の(1)の事実について判断すると、同事実中大学病院の医師が被告白石に対し奈々子を同病院へ転入院させることを許可したことは当事者間に争いがなく、また、<証拠>によれば、右許可をした経緯は次のとおりであることが認められる。

(一)  大学病院の医師である辻啓は、かつて東京大学付属病院の産婦人科において一緒に仕事をしたこともあり、経験豊富な産婦人科の医師であることを知つている被告白石から、電話により次のような依頼を受けた。「自分の患者が分娩後出血を起こし、子宮摘出手術を行つてもそれが止まらない。現在は、一応止血しており血圧も九〇mmHg位で落ち着いているが、自分の医院にはもはや薬剤もなくなつたし、ここでは設備も不十分なので、今度出血が起こつたら処置ができない。今は動かせる状態でそれ程危険はないし、救急車で自分と看護婦とが付き添つて万全の処置をして搬送するので、大学病院の方で救急患者として引き受けてもらいたい。」。

(二)  そこで、右辻は、直ちに、大学病院産婦人科の科長である荒井清に対し、電話により、前記依頼の趣旨を伝えると共にその指示を仰いだ。

(三)  右荒井は、被告白石による依頼の趣旨、同人の説明による患者の状態、大学病院が生命に危険のある患者を第一級の医療機関から受け入れて集中的な治療をすることを期待され、東京都から第三次救命救急センターに指定されていること等の事情を検討のうえ、右辻に対し、同患者の転入院を許可するよう指示した。

(四)  これを受けて、辻は、被告白石に対し、奈々子を大学病院へ転入院させることを許可する旨を伝えた。

判旨そこで考えるに、本件の場合、経験豊富な主治医である被告白石から、患者はいつ出血するか判らぬ状態であり今度出血が起きたらもはや自分の医院では処置できないことを理由に転入院の依頼があつたのであるから、かかるとき、大学病院の医師に対し直接患者の所まで赴いて直接その病状を見てから転入院を許可するかどうかを決するべきであつたということはできず、大学病院の医師が被告白石による患者の病状についての説明を前提にしてこれを決したことは相当であり、また、前記認定した説明を前提とすれば、奈々子は運搬ができないほど重篤な状態でなく一方で大学病院の診療を必要としていたのであるから、これを許可することが大学病院の医師としては相当であるから、右許可をしたことをもつて過失行為と解することはできない。

2  次に、請求の原因3の(二)の(2)の事実について判断すると、同事実は、本件全証拠によつてもこれを認めるのに足りない。かえつて、<証拠>によれば、大学病院の医師は、奈々子につき、その転入院当初から敗血症及びこれによる急性腎不全を疑い、動脈血及び静脈血の培養を数回にわたつて行うと共に、二、三種類の抗生物質の十分な量を併用して投与し、また、当初は腹膜透析を、次いで外シャントによる血液透析を行いつつ奈々子の体力の回復を待ち、昭和五〇年二月一七日には触診により後腹腔に原病巣があると考え、同月二四日には膣及び尿からクレブシエラ菌を顕出したうえ、同年三月一二日奈々子の体力がこれに堪えうる限度において開腹手術を施し、後腹腔内の凝血、壊死組織を可能な範囲で排出すると共にドレインを入れ、その後も十分な抗生物質の投与及び外シャントによる血液透析を行つていることが認められ、大学病院の医師によるこれらの処置は、適切なものであつたと思料される。<以下、省略>

(山田二郎 西理 川口代志子)

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